「TOD’S表参道」のご紹介
イタリアのファッションブランドのTOD’S(トッズ)が、本格的に日本へ進出する為のベースとなる店舗が「TOD’S表参道」です。
1920年代のイタリアで靴を製造、販売していたお店が1979年にTOD’Sと改名して靴とバッグのブランドとして生まれ変わりました。
「TOD’S表参道」の設計者
「TOD’S表参道」を設計した日本人の伊東 豊雄(いとう とよお)は、自分のスタイルを持っている建築家です。彼自身は「スタイルを持ちたくない」と言っていますが、時代や環境に合わせて変わり続けたいと願っていることが、彼のスタイルではないでしょうか。基本的には、美しい外観と自然をモチーフにした建物をデザインしています。また、大昔の住居などを参考にしてイメージを膨らませています。例えば穴居人が住んでいた洞窟が柱のない建造物になったり、隠れ家のような木の上の家が林の中にいるような有機的な形の建物になったりしています。「様々なイメージやデザインを建築物として可能にしているのは、構造エンジニアのおかげだ」と言う彼は、二人三脚だから自分の設計したものが実現できるとも言っています。その査証に構造エンジニアと連名で発表した作品もあります。日本の建築家を代表すると言っても過言ではない、彼の作品の数々を見ることのできる美術館が瀬戸内海に浮かぶ島に作られています。愛媛県今治市にある大三島には彼の美術館だけでなく、複数の芸術家の作品を展示している施設があり、島全体が美術館のようになっています。
「TOD’S表参道」の所在地
「TOD’S表参道」が建つ表参道は、大正時代に創建された明治神宮の参道として、当時の東京市が大きな通りを整備した事が道としての始まりです。この時、二本の参道が作られ、それぞれ表参道と裏参道として利用されていました。裏参道は、第二次大戦後に首都高速道路を作った為に現在は存在していません。有名なケヤキ並木は、神宮創建のあくる年に200本が街路樹として植樹されました。この地域は、江戸時代には広島の浅野家下屋敷があり、広大な敷地の中には豊かな水源を持つ池がありました。まっすぐな参道を敷く為に池を埋め立てることになりましたが、埋め立て工事は大変だったようです。同じ地下水系からの湧水は、昭和の初期の頃まで近隣で湧き出ていました。現在の表参道は、渋谷区と港区にまたがり、世界的にも有名なブランドショップがいくつも建ち並び、若者向けのファッションなど、流行の最先端を発信する地域となっています。
「TOD’S表参道」の特徴
「TOD’S表参道」は、白っぽいリボンでラッピングされたガラスの箱のようなビルです。2004年に完成した「TOD’S表参道」はショップとオフィスが入り、屋内からは切り取られた外の景色が見えます。打ち出しのコンクリートの壁に200枚のガラスと、70枚のアルミパネルが埋め込まれています。コンクリートは樹木のような形になっていて、設計者は正面入り口の前に立つケヤキ並木をモデルにしたと言っています。下の方は太い幹の様で、上に行くに従って枝分かれして細くなり、数も増えています。表側のコンクリートの表面とガラスは段差が無く平らになっていて、滑らかな一枚の壁のようにしてあります。ダブルスキンと言われる構造で、いわゆる二重ガラスのようになっています。外観もそうですが、建物の内側も壁のコンクリートとガラスの部分が平らになるように作られています。使われているガラスは、全て違う形をしていて、外側と内側のサイズも壁の厚み分だけ大きさが変わります。また、角の部分も角度は同じでもガラスの組み合わせ方が難しい所もあります。設計者の意図に従って、図面通りにコンクリートとガラスを一枚の板のように作り上げる技術には、目を見張るものがあります。敷地の関係で上から見るとL字型の建物ですが、表参道から見える部分だけでなく他の壁面も全く同じように作られています。明るい時間は白い木に埋め込まれたように見え、暗い時間になると、屋内の明かりが木を浮かび上がらせるように見える、正に樹々の中に埋め込まれた建物となっています。
「TOD’S表参道」のまとめ
丁寧に作られる靴のブランドであるTOD’Sが、日本進出の足掛かりとする建物は日本の企業が丁寧に作っています。職種は違っても、ある意味職人の技が無いとこのような素晴らしい物は作り出すことはできません。TOD’Sの靴は自信を持って作られているので、クリーニングや、染め直し、修理もしてくれます。本当に良い物は、靴でも建物でも念入りに作られています。
現在「TOD’S表参道」の建物は、フランスの有名ファッションブランドや高級宝飾品を扱う複合企業の「ケリング(Kering)」日本本社の社屋となっています。TOD’Sは、このビルでの営業を終了し、銀座の新しい基幹店舗に移転しています。
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