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「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館(新館)」のご紹介
図書館の蔵書は増えることはあっても、減ることはありません。手狭になれば広く大きな場所が必要となってきます。「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館」は、19世紀に建てられた旧館に収まり切れなくなった多くの蔵書を収めるために建てられました。
「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館(新館)」の設計者
「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館(新館)」は、建設するためにコンペティションと呼ばれる建築設計の競技会が行われました。それには世界中から200以上の企業や建築家が参加し、見事採用されたのがフランス人の建築家であり都市計画家でもあるドミニク・ペローの案でした。ドミニク・ペローは1953年にフランスの中央高地にあるクレルモン=フェランと言う街で生まれました。画家になりたかったと言う彼は、20代半ばでその夢をあきらめ建築家の道を進み始めました。伝統のある国立の美術学校で建築を学び、パリの都市計画庁勤務を経て、1981年に自らの事務所を開設しました。彼の信条は「新しく建てる建造物が、すでにある街の景観を壊さない事」です。そのことを実践するために、建物本体を地下に作ることを考え出しました。ミニマリストと言われる彼の作品は、建物に装飾を施す事や古い時代のデザインを使ったポストモダン建築の反対に位置するものとなっています。そのような事から、建築界に於いて彼の登場は、流行の変わり目を作ったとも言われています。「空間は人には必要だが、都市には厄介な存在で、いかにその空間を生かすかが現在のテーマ」だと言っています。彼の活動はフランスをはじめとしてヨーロッパが中心でしたが、近年ではアジアにも作品が作られています。日本では、新潟の能舞台や大阪のビルが作られています。
「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館(新館)」の所在地
フランス共和国の首都パリにあるベルシー地区に建てられたのが「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館(新館)」です。セーヌ川沿いの地区で、川の水運があった為に、以前はワインの集積地として多くの倉庫が立ち並ぶ地域でした。鉄道が開通すると貨物駅が設置され、ワインは列車によって大量に輸送されるようになりました。第二次世界大戦後はワイン輸送も下火になり、次第にさびれてきました。広大な倉庫の跡地は再開発地区に指定され、セーヌ川の左岸には「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館(新館)」が建てられました。新しい橋も架けられた右岸には、古い倉庫を利用したショッピングモールやアミューズメントパークなどの商業地区となって生まれ変わりました。
「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館(新館)」の特徴
「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館(新館)」には数々の特徴があります。まず、図書館本体は地上からは見えない事が挙げられます。地下に埋め込まれているという事と、そばを通る道からは完全に見えないような作りになっている事です。道から木製の幅広い階段を上がると、遊歩道のような木の床の広い通路があります。中央部分はくり抜かれて、たくさんの樹木が植えられた中庭のような緑地帯を見下ろす事が出来ます。次に、四角い箱の四隅だけを切り取ったような4つのビルが目立ちます。90度の角度を持たせた建物で、上から見るとLの字型になっています。本を開いて建てた形を模しているとみなされている、ガラス張りの建物です。高さ100mのこの建物のほとんどは、蔵書を収める為の書庫に使われています。たいへん古い書物もあり、日光による劣化を防ぐために、ビルの窓には木で作られたカーテンのような役割を果たすパネルが取り付けられています。中庭は4つのビルに囲まれた形になっていて、その地下に閲覧室などが作られています。1994年に竣工しましたが、パリ市内の複数個所に分散していた約1,000万の資料を移動するのに2年もの期間がかかりました。
「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館(新館)」のまとめ
フランスの図書館の歴史は非常に古く、14世紀の王室にあった図書室が最初の図書館とされています。「フランス国立図書館 フランソワ・ミッテラン館」は最新の技術も取り入れられ、世界のどこからでもアクセスできる電子図書館「ガリカ」も備えています。当時のフランス大統領の采配によるプロジェクトの一環として建てられた図書館は、彼の死後この新館に彼の名を冠することになりました。
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