「ニテロイ現代美術館」のご紹介
美術館は、そこに納められている数々の芸術品を展示するために建てられます。また、素晴らしい作品が劣化しないように管理することも美術館の役割の一つです。最近では建物そのものが芸術品と言ってもよいような美術館も建てられています。南米にある「ニテロイ現代美術館」も芸術作品と言える建物です。
「ニテロイ現代美術館」の設計者
「ニテロイ現代美術館」を設計したオスカー・ニーマイヤーは、1907年ブラジルのリオデジャネイロでドイツ系の家族の元に生まれました。国立の大学で建築を学び、卒業後に当時の有名な建築家の元で働きました。その頃に、モダニズム建築の巨匠であるル・コルビュジエと出会い、彼と共にいくつかの建築を作り上げています。また、数々の公共建築物を手掛け、その後の彼の活動に影響を与えました。ブラジルの新首都であるブラジリアは近代都市としては初めて世界遺産に登録されましたが、この首都移転の為のプロジェクトにも参加して、数々の建築物を生み出しました。しかし、その直後には政治的な問題で国にいられなくなり、約20年の間パリで活動することになりました。彼の建築スタイルは、故郷ブラジルの山々や海岸線などの曲線的な美しさが作品に反映されていて、滑らかで、優しい姿の建築物を生み出しています。彼は、建築家としてだけでなく、芸術家としても優れた才能を見せています。例えば、彫刻作家としてブラジルF1グランプリの優勝トロフィーを作っています。「インディオか黒人の血が混じっているかもしれないが、それは自分にとって誇りである」と言っていた彼は、2012年リオデジャネイロで104歳という長寿を全うして亡くなるまで精力的に活動していました。
「ニテロイ現代美術館」の所在地
ブラジル連邦共和国のリオデジャネイロ州ニテロイの岬に「ニテロイ現代美術館」が建っています。以前は首都であったリオデジャネイロ市の隣の街で、グアナバラ湾の対岸になります。ニテロイの名は広く南米に住む原住民族の言葉で、「隠れた水」や、「曲がりくねった港」など、いくつかの意味を持っています。大西洋に面した良い湾を持つこの地域は、インディオの集落がありました。16世紀にヨーロッパからポルトガル人がやってきて、漁港として繁栄するようになり、現在でも漁業はこの地域の重要な産業の一つです。豊富な海の幸はこの地域の食生活を豊かにしています。対岸の大都市のすぐそばにありますが、美しい自然がたくさんあり、観光やリゾート地としても人気のある所です。今世紀に入ってからは、博物館や美術館、劇場などが整備されて、文化都市としての様相を呈するようになってきました。住民は富裕層が多く、教育機関も充実していることから、憧れの街とも呼ばれています。
「ニテロイ現代美術館」の特徴
上から見ると発芽した種子のように見えます。美術館本体は白い円形の建物で、そこに至る赤いスロープが美しい曲線を描いています。1996年に完成した「ニテロイ現代美術館」は、設計者が「花をイメージして作った」と言っています。しかし、地元住民は親しみを込めて「Disco Voador(空飛ぶ円盤という意味)」と呼んでいます。確かにUFOにも見えますが、美しい形であることには変わりはありません。美術館に至る道は、重要人物や要人を歓迎するために敷かれるレッドカーペットのようで、美術館を訪れる人々を出迎える道になっています。建物自体は白い色をしているので、双方の曲線的な形と、赤と白の競演が美しさに拍車をかけているようにも見えます。この建物は、美しさだけでなく、ニテロイ近辺で夏季になると定期的に強風を伴った嵐が起こるので、その強風にも耐えるように設計されています。海に囲まれた岬の突端に建っていますが、国内で2番目に多いコレクションを収めるには敷地が少なかったようです。その問題を解決するためにこのような形になったと言うことで、大杯のような形は必然だったのかもしれません。円形の建物の全周に窓があり、360度の素晴らしい眺めが得られます。この眺めも作品の一つと言えるでしょう。「ニテロイ現代美術館」は、納めている芸術品に負けることのない、シンプルではありますが素敵な建物です。
「ニテロイ現代美術館」のまとめ
「ニテロイ現代美術館」を中心とした、博物館や劇場など複数の建築物をまとめて「ニーマーヤーウェイ」と呼ばれるプロジェクトがこの街にあります。すでに完成した建造物もありますが、建設途中や設計段階のものもあります。すでに設計者は亡くなっていますが、彼の残した作品は今も息づいているようです。
余談ですが、設計者のオスカー・ニーマイヤーは、多くの人に影響を与えたようで、「オスカー・ニーマイヤー」と名づけられたタンカー船が、彼の亡くなった年に進水式を迎えています。また、複数の芸術家が彼の偉業を称えて、ビルの壁面に彼の肖像を描いた事もあります
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