「シャムの塔」のご紹介
夢を叶えるために人々は様々な努力をします。学校で学ぶことも、その一つでしょう。建築家になるために通った大学の校舎をデザイン、設計する事は夢を叶えた証ではないでしょうか。チリ・カトリック大学にある「シャムの塔」は設計者の母校に建っています。
「シャムの塔」の設計者
「シャムの塔」を設計したアレハンドロ・ガストン・アラヴェナ・モリ(アレハンドロ・アラヴェナ)は、1967年にチリ共和国の首都サンティアゴで生まれました。チリ・カトリック大学で建築を学び、卒業後の2年間はイタリアで建築に関する理論などを研究していました。1994年に事務所を開設し、2000年から5年間はアメリカの大学で教鞭もとっていました。また、2009年からの6年間は、建築家に贈られるノーベル賞とも呼ばれるプリッカー賞の審査員を務めていて、彼自身は2016年にこの賞を受賞しています。「人間味にあふれるエレガントな建築家」と称される彼は、一風変わった思想で建物を作り出しています。チリ国内で多くの集合住宅を手掛けていますが、そこに住むはずの人々と、とことん話し合って足りない敷地や資金の問題を解決した住宅を作りました。その住宅は、半分だけ出来上がった家です。後の半分は、住民が思うように自分で完成させると言った方式でした。この方法は大成功し、いくつかの街で同じような方式の集合住宅が作られました。建築家としてだけでなく、芸術の分野でも活躍する彼は、イタリアで開催された美術博覧会(ビエンナーレ)の監督責任者も務めるなど、チリ国内だけでなく世界中で活躍しています。
「シャムの塔」の所在地
南米大陸の西側にある南北に細長い国、チリ共和国の首都サンティアゴ・デ・チレ(通称サンティアゴ)にある大学に「シャムの塔」が建っています。アンデス山脈の南端に位置した盆地で、1年を通して温暖で、降水量も少ない地域です。マポチョ川に沿って広がる盆地には、数千年前から様々な部族の人々が暮らしていました。15世紀にはインカ帝国がこの地も征服しましたが、16世紀に入ってスペイン人の征服者によってインカ帝国が滅びてしまいました。海岸線からおよそ100kmの内陸ですが、穏やかな気候が好条件として、16世紀半ばにスペイン人によって建設され、植民地として発展してきました。19世紀に独立して共和国になった時に、この街が正式に首都となりました。数百年の植民地時代に作られた建築物は1985年に起こった地震によって、多くが壊れてしまいました。それでも現在に至るまで中世の趣を残す教会や、現在も使われている郵便局の建物も残っています。
「シャムの塔」の特徴
「シャムの塔」は、寄り添うように建つガラスの箱に見えます。2005年に設計者の母校でもある、チリ・カトリック大学のコンピューター管理棟として建てられました。建物本体は普通のビルで、7階から2つに離れています。その建物を覆うようにガラスの壁が取り巻き、中層から上層にかけて傾きを持たせています。その姿が双子のように見えることから「シャムの塔(サイアミーズ・タワー)」と呼ばれています。敷地面積が狭く、各階を広くしようとすると、建物の外観が不格好になる事が懸念されました。建築を学ぶための場所であることを考慮すれば、スタイリッシュな外観が求められる事は当然でした。ビルそのものは、繊維コンクリートと呼ばれるコンクリートの弱点を補う合成繊維などが埋め込まれたコンクリートで作られています。大学側は当初、この建物を総ガラス張りで作りたかったようですが、屋内の温度調節に大きなコストがかかることで断念しました。そこで考えられたのが、建物全体を覆うように作られたカーテンウォールと言われる構造でした。名前の通り、建物を取り巻くカーテンのようにガラスの壁が取り巻いています。屋内の温度が上がりすぎないように、最上部には建物から80㎝離れた開口部が作られていて、空気の流れが起きるようになっています。ガラスとコンクリート、それぞれの長所がお互いの欠点を補う形となった事は、この建物の形に現れているように見えます。
「シャムの塔」のまとめ
「シャムの塔」は、まるでベールをまとったように透けて見える建物です。緑に囲まれたガラスの塔は、サンティアゴの毎日の空を映し出しています。アレハンドロ・アラヴェナは、「シャムの塔」以外にも母校であるチリ・カトリック大学の様々な校舎を手掛けています。双子を意味する「シャムの塔」には他にも多くの兄弟的な建物が大学の敷地内に建っています。それを作り出したアレハンドロ・アラヴェナは、差し詰めそれら建物の親と言えるのではないでしょうか。
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