落水荘(Fallingwater)

「落水荘」のご紹介

まるで山水画のような家があります。アメリカのデパートのオーナーであるカウフマン氏が週末を過ごす為に作らせたのが「落水荘(Fallingu water)」です。山や川と一体化した、季節によって表情の変わる素晴らしい別荘です。

「落水荘」の設計者

フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867年6月8日 – 1959年4月9日)

近代建築の巨匠の一人、フランク・ロイド・ライトは1867年にアメリカ合衆国ウィスコンシン州の牧師のもとに生まれました。大学を中途でやめ、シカゴに行き建築事務所で働きました。二番目に努めた事務所で才能を見出され、以降その事務所で住宅の設計を任されるようになりました。当初はプレイリースタイル(草原様式)と呼ばれる、部屋数が少なく大広間を持たせた背の低い家を多く設計していました。浮き沈みの激しい人生を送ってきましたが、70歳を超えた頃に名作を世に出すようになり、1959年91歳でこの世を去るまで活動していました。彼の設計した建物は日本にもいくつか残されています。その中でも歴史的価値があるとされているのが、帝国ホテルのライト館です。現在は愛知県の博物館明治村に移築されていて、当時の面影を見ることが出来ます。帝国ホテルの新館を建設する為に何度も日本を訪れていた彼は、日本の文化に触れ、それに影響された建物もあったようです。日本の浮世絵が好きで自分でもコレクションしていましたが、ディーラーとして浮世絵の売買も行っていました。

「落水荘」の所在地

アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグの南東約80kmに位置するユニオンタウンと言う町に「落水荘」があります。この町はペンシルバニア西部保護区と言う地区の一部で、多様な生物や森林などの自然保護や、複数の広大な公園を維持管理しています。「落水荘」もこの保護区の管理物件の一つとなっています。ピッツバーグは、国内でも治安のよい住みやすい街としてトップクラスの都市となっています。しかし、以前は公害のひどい街でした。鉄鉱石や石炭の鉱山が近くにあり、アメリカ第一の鉄鋼都市として栄えていました。19世紀から第二次世界大戦の頃まで、工業都市として繁栄してきた長年の弊害が表れてきました。大気汚染がひどくなり、スモッグで年中かすんだような街になっていました。当時は「煤煙の町」または「煙の町」と呼ばれ、悪名が高くなっていました。20世紀後半になると鉄鋼業も下火になり、代わりにIT産業や、金融、サービス業など先端産業が台頭してきました。現在は都市の緑化も進み、市内のあちこちに美しい公園が散在し、市民の憩いの場を提供しています。

「落水荘」の特徴

「落水荘」は山に埋め込まれたような、自然と一体化している家です。白黒の写真に映し出された「落水荘」は、正に山水画の一枚のようです。山の小川が家の縁の下の様な下部から滝のように流れ出ている様子が、Fallingu water(フォーリング・ウォーター、落水)と呼ばれる所以です。コンクリートと天然石を使って作られていますが、山の岩肌をそのまま床に利用した部屋もあります。また、廊下の突き当りには岩清水が流れている所もあり、秘密の山の家の様です。天井が比較的低く、座って外の景色を眺めるように仕向けていると言われています。季節によって風景が変わり、温かい時期の樹々の緑は眩しく、寒い季節になると滝の水が凍って巨大なツララのように見えます。設計者のフランク・ロイド・ライトが考案した「有機建築」と言う概念が、「落水荘」の設計に組み込まれています。この考えは、人の居住空間と自然がより良く調和できることに重きを置くこととなっていて、日本の古くからある建築物に影響された考えと言われています。山に埋もれたような建物なので、小さく見えますが、地上3階、地下1階のかなり大きな建築物です。一幅の山水画のようなこの家が、完成から80年以上経っているとは思えない素晴らしい別荘です。

 

 

 

 

 

 

 

「落水荘」のまとめ

1935年に完成した「落水荘」は正式には「カウフマン邸」と言います。しかし、一度この家を見たら「落水荘」と名付けた人の気持ちがわかる気がします。設計者のフランク・ロイド・ライトは依頼主の息子の先生だったことから、この別荘の設計を任せられました。建設場所が辺鄙で普通に家を建てるには不向きな所だったことから、建設費用が膨らんできましたが、依頼主のカウフマン氏は費用がいくらかかっても完成させることを望みました。現在、この別荘は完全予約制ではありますが、ガイドの付いた見学ツアーも行われています。

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