クンストハウス・グラーツ(Kunsthaus Graz)

「クンストハウス・グラーツ」のご紹介

設計者の一人コリン・フルニエが「フレンドリー・エイリアン」と言う愛称を付けた建物があります。レンガ色の屋根の間に見える、巨大な生物のようにも見える美術館です。中央ヨーロッパの街に建てられた「クンストハウス・グラーツ」をご紹介します。「クンスト」とはドイツ語で芸術の事を指します。

「クンストハウス・グラーツ」の設計者

「クンストハウス・グラーツ」は二人の建築家によってデザイン、設計されました。
ロンドン現代美術館の館長を務めたこともあるピーター・クックは、1936年にイングランド東部の街で生まれました。ロンドンの高名な建築学校を卒業した直後に、「アーキグラム」と言う前衛建築家の集団を結成し、同時に同名の雑誌を創刊しました。十数年後には一応解散しましたが、数多くの建築家がこれに参加していました。後年「アーキグラム」は国の建築協会から最高の賞を受け、彼はナイトの称号を授けられました。
コリン・フルニエは1944年ロンドンに生まれ、「アーキグラム」に準メンバーとして参加していました。ヨーロッパを中心に建築だけでなく、都市計画などの活動をしていますが、中国や香港の大学で教鞭もとっています。現在は、香港を拠点とする、建築や都市計画に携わる会社のトップを務めています。

左 ピータークック  右 コリンフルニエ

 

「クンストハウス・グラーツ」の所在地

オーストリア共和国の南東部に位置する第二の都市グラーツにこの美術館は建っています。約5,000年前には人が暮らしていたことがわかっていますが、街としては、ローマ帝国の時代に建てられた砦が発端と言われています。そして、その砦が建設されたことから、「小さな城」と言う意味のある単語の「グラデツ」がこの街の名前の由来と言われています。中世の面影を色濃く残し、レンガ色の屋根を持つ建物が旧市街地に多く現存しています。この建物群と17世紀に建てられた美しいエッゲンベルグ宮殿は世界遺産に登録されています。

「クンストハウス・グラーツ」のすぐ近くにあるシュロスベルクの丘は、比較的平坦なこの街を見下ろすような小さな山のようです。街が作られた要因のある最初の砦の跡と言われていて、現在は街のシンボルの時計塔と公共の公園になっています。学園都市として栄えてきたこの街は、2003年に欧州文化都市に指定され、1年を通して各種の文化事業に力を注ぎました。「クンストハウス・グラーツ」はこの年に作られた美術館で、今ではグラーツの新しい名所となっています。

「クンストハウス・グラーツ」の特徴

間違いなく建造物なのですが、生物に見えるのが「クンストハウス・グラーツ」です。街の俯瞰図を見ると、レンガ色の屋根に囲まれ、はまり込んでしまっている海洋生物に見えます。うみうし、なまこ、上部に採光のための突起がたくさんあるのでウーパー・ルーパーにも見えます。外壁は青いアクリル板で覆われ、尚更、海の生き物によく似ています。設計者や地元の人々、美術館の職員などは、クジラやヤマアラシ、赤ちゃんのカバ、または地球外生命体と形容しています。

アクリル板の裏側には946本の40w円形蛍光管が配置されていて、コンピューター制御により様々なグラフィックを描き出せるようになっています。当初はLEDで覆いたかったようですが、予算の関係で蛍光管を使う形になりました。しかし、蛍光管で滑らかな画像が描き出される事の方がインパクトがあるように思えます。これは、BIX(BIGとPIXELの造語)メディア ファサードと呼ばれていて、この建物の特徴の一つとなっています。全面が点灯した時には、それぞれの形が視力検査表のように見えます。上部に作られている15の突起は天窓の役割もはたしていて、45度の角度が付けてありますが、一つだけは近くの時計塔の方を向いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クンストハウス・グラーツ」のまとめ

自分の作品にニックネームを付けるほど愛着を持てるのは、その作品の出来栄えが想像以上だったからではないでしょうか。しかし、建造された当初は近隣住民から多少の非難があったようです。中世の名残とも言える街の佇まいが自慢だった住民からすれば、こんな奇妙な建物が出来たことは受け入れ難い事実だったことでしょう。それでも、時間が経つに従って街の自慢に変化してきました。今では「クンストハウス・グラーツ」は、この街有数の観光スポットとなっています。

 

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