セントルイス修道院の礼拝堂(Saint Louis Abbey)

「セントルイス修道院の礼拝堂」のご紹介

 

宗教建築は優雅とも言える外観を持つ建物が多く存在していますが、アメリカの内陸部にある都市には、他とは趣の違う上品さを漂わせている礼拝堂が建てられています。完成後数十年たった今でも、古さを感じさせない未来的な美しさのある建築物が「セントルイス修道院の礼拝堂」です。

「セントルイス修道院の礼拝堂」の設計者

 

「セントルイス修道院の礼拝堂」を手掛けたのは、日系アメリカ人の小畑 暁(ギョウ オバタ)です。彼は、1955年に大学の同級生2人と共に「ヘルムース・オバタ+カッサバウム(HOK)」を開設しています。1923年に西海岸の都市サンフランシスコで芸術家の両親の元に生まれました。青年期に第二次世界大戦が勃発した時には、カルフォルニアの大学で建築を学び始めていました。しかし、日系人は強制収容所に送られることになって、彼は家族と共に自宅を離れ大学にも通えなくなりました。その後、違う収容所に移動する直前に父親の手配により、遠く離れた大学に通えることが決まって、彼は家族と離れて1人で再び建築を学ぶためにセントルイスへ向かいました。セントルイスでの学業を終了した後に通った学校でフィンランド出身の建築家に師事したことが、自身の建築スタイルに大きな影響を与えたと彼は言っています。芸術家の両親の元に生まれ、幼いころから美しい花や絵に囲まれて育ったこともあって、彼にはデザインに対する感性が育っていました。それに加えて、教えを乞うた建築家が、アールヌーボーからアールデコへと変わっていった時代に活躍していたことが、彼の美的感覚を更に向上させたと言えるのかもしれません。HOKを開設したときに、彼の重要な仕事はデザインでしたが納得のいく役割分担だったにではないでしょうか。一線を退いた後の90代になっても、建築デザイナーとして活動していた彼は、100歳を目前に2022年セントルイスで亡くなっています。

「セントルイス修道院の礼拝堂」の所在地

 

アメリカ合衆国の中央より少し東寄りに位置する、ミズーリ州で2番目に大きな都市のセントルイス中心部から西に向かった郊外に「セントルイス修道院の礼拝堂」があります。この街は、国内で1番長いミズーリ川と2番目に長いミシシッピ川が合流する地点にあります。街の中心部はミシシッピ川の西岸で、川を挟んだ東側はイリノイ州です。街の郊外の西側にはミズーリ川が流れています。18世紀の中頃にフランス人の商人が町を作りましたが、元々は先住民族の人々が川の水運を利用した文化交流の中心地でした。街の名称はその時に決められ、聖人となった13世紀のフランス国王ルイ9世(聖ルイ)の名前が使われました。この街はアメリカ開拓時代に於いて重要な地点でした。この地から太平洋岸に向けてミズーリ川を遡った「発見隊」と呼ばれる探検隊の出発点がこの街です。文化の中心としての役割はアメリカ建国後も続き、国で2番目に長い歴史を持つセントルイス交響楽団や、チェスの大きな大会を開催するクラブがあります。他にも毎年夏に開催されるオペラフェスティバルは、国内で訪れる価値のある夏祭りと言われています。

 

「セントルイス修道院の礼拝堂」の特徴

 

裾が広がった白いドレスを思い浮かべるような優美な形状の建物が「セントルイス修道院の礼拝堂」です。1962年に建設された当時は、礼拝堂が円形をしているなんて問題外とも言われる事もありました。しかし、祭壇は円の中心に据え付けられていて、設計者は礼拝に訪れる多くの人々が、少しでも祭壇の近くで祈りを捧げられるようにと考えた結果が、円形の建物です。外観は、巧みにたたまれたテーブル上のナプキンや、簡素でありながら優雅さのあるケーキのデコレーションのような印象があります。波のような20の襞が2つに重ねられて、中心には同じ雰囲気にデザインされた鐘楼が設置されています。波のようなアーチは、木製の型枠の外側に、通常より水分を減らしたコンクリートが密着するように吹き付けられて作られています。アーチは1度に5つ分づつ作られ、コンクリートがしっかり乾いたら、型枠を取り外し、次の位置に移動して同じ工程を繰り返して円形に完成させています。アーチの内側は全て同じ素材の窓になっています。ガラス繊維と樹脂を合わせて製造される、ガラス繊維強化樹脂と言う軽量で強化された素材です。光を遮断する効果もあって、日光を約90%も遮りながら、屋内が適度な明るさに保てるようになっています。外から見ると白い建物に黒く見える窓になっていますが、屋内からでは半透明の柔らかい雰囲気の白い窓に見えます。床は白いタイルが敷き詰められ、礼拝堂内部は清楚な白い屋内になっていて、厳かなイメージを更に高めています。

「セントルイス修道院の礼拝堂」のまとめ

 

「セントルイス修道院の礼拝堂」の建設が決まり、建物の形を円形にするとした時に反対する人もいたようです。しかし、完成後には「アメリカで最も新しく印象的な円形の教会」や「アメリカの隠された宝」など、様々な賞賛が浴びせられました。完成して半世紀以上がたった今でも、その美しさとある種の荘厳さを備えた「セントルイス修道院の礼拝堂」は、これからも市民の自慢となり続ける施設となるのではないでしょうか。

 

 

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