「アザディタワー」のご紹介
紀元前550年に興ったペルシア帝国の建国2500年を記念して、当時は王国だったイランの国王が提案して建設されたのが「アザディタワー」です。建設される前からこの塔の名前は、「シャヒャード」(シャーは国王を指し、シャヒャードとは国王記念塔と言う意味です)と決まっていました。共和国となってからは、自由を意味する「アザディ」と改名され、イランを象徴するテヘランのランドマークとなっている、美しくも堂々とした塔です。
「アザディタワー」の設計者
「アザディタワー」の設計とデザインを建築競技会で勝ち取ったのは、当時まだ20代だったホセイン・アマナトです。1942年にイランで生まれ、現在はカナダの国籍を持っています。テヘランの大学で建築を学び、卒業した直後の1966年に現在の「アザディタワー」の建築設計競技会(コンペ)が開かれる事を知って、小さな建築事務所、アマナト・アーキテクトを開設しました。彼は、このコンペが無かったら卒業後は国外で建築の勉強を続けたいと思っていたようです。自宅の一室を建築事務所として、母校に在学中の学生たちと共に「アザディタワー」のデザインと設計に専念し、見事コンペに優勝しました。建築家としての出発点は、このように華々しく始まりましたが、国の政治情勢が不安定になるにしたがって彼の周辺に暗雲が立ち込めるようになってきました。彼の出自がユダヤ系であった事や、信仰する宗教がバハイ教だったことで迫害を受けるようになり、命の危険を感じて1980年にカナダへ亡命しました。現在はカナダの国籍を持つカナダ人として、太平洋側の南部にある都市、バンクーバーに事務所を構えて建築家としての活動を続けています。博物館や大学などの公共施設や大きな集合住宅を多く手掛けていますが、その土地の文化を重んじるようなデザインを心掛けています。
「アザディタワー」の所在地
「アザディタワー」は、イラン・イスラム共和国の首都、テヘランの中心部に建てられています。テヘランは国の首都であると共に文化の中心地として多くの博物館や美術館が置かれています。また、高等教育を受けることが出来る多くの学校もあります。北にはカスピ海がありますが、その間をアルボルズ山脈が横たわっています。5,000m級の山を要する山脈で、テヘランはその南側の裾野に広がる平地に位置していて、標高は1,000mから1,700mと高くなっています。街の南側は砂漠地帯が広がる乾燥した気候の地域です。夏は暑く乾燥していますが、冬季は氷点下になる事もしばしばあって、降水は特に冬場に多く、積雪量も多くなっています。この地域には、太古より人々が暮らしていた痕跡があって、紀元前数千年前にはすでに集落があったようです。9世紀の頃には、現在のテヘラン近郊に大きな都市がありましたが、テヘランのある場所には小さな村があるのみとなっていました。13世紀の頃にその都市が侵略されて、人々が移り住んできたことから、村は次第に大きくなってきました。新しく大きな街になった頃の13世紀にはテヘランと言う街の名前が歴史に登場しました。この街は国の経済の中心でもありますが、伝統的なペルシャ絨毯や家具の集積所としての役割も続いています。また、古くから続くバザールも市の中心部で開かれています。
「アザディタワー」の特徴
1971年に完成した「アザディタワー」は、様々な意味でテヘランとイランを象徴する建築物で、巨大な白いクジラの尾のような左右対称の優美な形をしています。地上高45mで最大幅が63mの頂上が平坦になった白い山のようにも見えます。この形自体は未来的なイメージがありますが、設計者が参考にした古い門の形も取り入れられています。塔のアーチを真下から見上げると、菱形に組まれた枠にターコイズブルーを基調とした模様が描かれています。この模様も宮殿や寺院に使われていた意匠が参考にされています。建物そのものは地震多発地帯であることを考慮して、頑丈なコンクリートで作られ、外壁は25,000個の白い大理石のブロックで覆われています。この大理石は、「アザディタワー」の建設が決まってからイランの中央部で発見された石(イラン産ホワイトトラバーチン)です。他にも扉に使われている花崗岩がイラン国内で採石されています。エレベーターが2台設置されているので、上部に作られている展望台へ上がることが出来ます。「アザディタワー」が建つ広場と同じ6角形のパターンで窓が作られて、塔の上部を1周しています。大きなアーチは、東西に延びる道を跨ぐようになっていますが、南北に通る少し狭い道へ向かうように小さめの開口部も裾の部分に開けられています。白い塔なので、時間や天気、ライトアップの色で様々な色にドレスアップすることが出来ます。
「アザディタワー」のまとめ
「アザディタワー」はテヘランの玄関と言われ、世界でも最大規模と言われる広大な公園の中央部より少し東に建ち、テヘランの意義深いランドマークともなっています。イランが王国であった時代の最初の王が国を開いてから2500年を記念して建てられましたが、完成して数年後にこの国は共和制となりました。設計者はイランの古い伝統も重視してデザインしています。この塔は国の過去も未来も含み、国も人々も見守る様々な意味を持つ塔となっているのではないでしょうか。
コメントを残す