ブズルジャ記念碑(Buzludzha monumentt)

「ブズルジャ記念碑」のご紹介

 

栄枯盛衰と言う言葉が示す通り、多くの物事は栄えていても時間の長短に関わらず、いずれは勢いが衰えてゆくものです。勢いのあった団体が作った煌びやかな建造物は、その組織の衰えと時間の経過によって廃墟同然となっていきました。しかし、歴史の中で重要とされたその建物は保存するに足りる建造物として、国が保護することになりました。「ブズルジャ記念碑」は、建設目的の意味を持つ場所に今も建っています。

「ブズルジャ記念碑」の設計者

 

「ブズルジャ記念碑」の設計とデザインを担当したのは、ブルガリアの政治家であり、建築家でもあったゲオルギ・ストイロフです。1929年にブルガリアの西の端に近い、古い歴史を持つコンドフレイという小さな村で生まれた彼は、首都のソフィア市長や国会議員も務めました。第二次世界大戦の頃、10代半ばだった彼は、国を守るためにブルガリアの抵抗運動に参加していました。その後、20歳になった時に正式に共産党の党員になりました。終戦後にモスクワの大学で建築を学び、ソフィアの研究所で建築家としての活動を開始しまして、30代の半ばで1年間ほどフランスのパリで都市計画を学んでいます。政治活動と共に建築家としても活躍していた彼の作品は、多くが国営の施設や規模の大きい建築物でした。国営のラジオ局や空港、大きな集合住宅などを手掛け、いくつものホテルも設計しています。また、いくつかの建築アカデミーや建築家協会にも所属していて、建築を学ぶ学生に向けての教科書や建築関係の書籍を執筆しています。加えて、1987年に設立されたユネスコが運営している国際建築アカデミーの会長を設立後から務めていました。国際建築アカデミーはソフィアに本拠地を置き、世界で39カ国に会員がいて、日本にも支部があります。共産党政権時代に建設の大臣も務めていた彼は、2022年に93年の人生に幕を下ろしています。

「ブズルジャ記念碑」の所在地

 

東欧の国ブルガリア共和国に聳える山の山頂に建設されたのが「ブズルジャ記念碑」です。ブルガリアは東に黒海を望むバルカン半島の南部に位置していて、国土の約3割が山岳地帯となっています。「ブズルジャ記念碑」が建つ山は、国土のほぼ中央にある山で、現在の山の正式名称は「ハッジ・ディミタル山」と言いますが、一般的には古くから使われているブズルジャ山と呼ばれています。標高は1,500mに少し届かない高さですが、国の歴史的にいくつかの重要な出来事が起こった場所です。ある種の観光地として有名な山で、近郊のカザンラクと言う街を経由して訪れることができます。カザンラクは、バルカン山脈とその南にあるスレドナ・ゴラ山脈の間に挟まれたカザンラク渓谷に位置しています。太古より人々が暮らしていた場所で、街の近くには古代の王国の首都の遺跡が見つかりましたが、現在はダム湖の底に沈んでいます。他にも当時の王家の墓などが発見されています。この地域は別名「バラの谷」とも呼ばれていて、香水などの原料になるバラの精油の産地です。ダマスクローズと言うバラから採取されるローズオイルは、国の重要な生産品となっていて、毎年5月から6月に一斉にバラが開花して、街中がバラの香りで包まれます。6月には100年以上続くローズフェスティバルが開催され、国の内外から多くの人が訪れています。また、世界でも最大規模のバラ園があります。

 

「ブズルジャ記念碑」の特徴

 

1981年に完成した「ブズルジャ記念碑」の正式名称は、「ブルガリア共産党記念碑」です。ホールを含む楕円形の建物と赤い五芒星が描かれた搭で構成された建築物で、建設資金は全額市民の寄付と記念切手の発行によって賄われました。歴史的に意義のある山ですが、建設にあたっては山頂を平らにする必要があったことから、山の標高は9mも低くなりました。また、多くの資材を運ぶために道路も敷設されました。赤いガラスで星型が描かれた搭は70mの高さがあり、完成当時の夜間はライトで照らされていて、隣国のルーマニアとの国境になっている100km以上離れたドナウ川でも見えると言われていました。ドーム状の記念碑は、中心に直径約40m、最高地点が15m弱の大きなホールになっています。ホールのドーム型の天井は中心に共産党を表す意匠が描かれ、全体が銅で覆われていました。ホールの外側は回廊になっていて、山頂からの景色が見えるように等間隔で開口部が作られています。ホールの外側の壁には、この建物が建設された趣旨に沿ったモザイク画が描かれていて、およそ40トンのガラスと大理石が使われています。建設にあたっては技術者や職人、芸術家など様々な職種の人々と、工兵など数千人が携わりましたが、冬季には作業環境が著しく悪くなるために、1年間で5ヵ月しか建設作業が行えませんでした。その為、完成までに7年の歳月を要しました。

「ブズルジャ記念碑」のまとめ

 

華やかな式典が行われ完成した煌びやかな内装を持つ「ブズルジャ記念碑」は、わずか8年で閉鎖されました。政治形態が変わったことが原因ですが、その後はほぼ放置状態だったことから、間もなく廃墟同然になってしまいました。未来的な姿はそのままだったため、国の内外から、多くの人がその姿を見に訪れています。近年では「世界で最も美しい廃墟」と謳われ建設当初の意義とは違った賞賛を浴びています。また、国の歴史的に重要な建造物として保護の対象になり、周辺の建造物と共に国立公園に指定されています。

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