マリア・グラツィア・クトゥリ小学校(Maria Grazia Cutuli Primary School)

「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」のご紹介

 

地球上には多くの国や地域があり、それぞれの国や地域で暮らす人々がいます。全ての国や地域が平穏に暮らせる場所とは限りませんが、普通に生活するには困難な場所にも子供たちは生きています。過酷な自然環境の場所があれば、大人の都合で紛争の絶えないところもあります。アジアとヨーロッパの境にある国に暮らす子供たちのために、少しでも安心して勉強できるように建設された学校が「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」です。

「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」の設計者

 

「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」の建設にあたっては多くの建築事務所と建築家が関わっています。いずれもこの学校を建設するために資金提供をした財団と同じ、イタリアに本拠地を置く企業です。

2A+P/Aはローマに拠点を置く建築事務所です。2A+Pというデザイン誌で、編集者を務めていたジャンフランコ・ボンバッチは、2005年から同名の建築事務所で建築家として活動していました。2009年にマッテオ・コスタンツィオと共に2A+P/Aを共同設立し、建築家としての本業とは別に、複数の学校で教鞭を執っています。

maØ(エミア ゼロ)は、1996年に設立されたローマを本拠地とする建築事務所で、ケティ・ディ・タルドとアルベルト・イアコヴォーニ、ルカ・ラ・トーレ、マッシモ・チュッフィーニの4人が共同で運営しています。空間を形作る建築は、相反する事柄の関係性を自由に変化させることが出来ると、彼らは考えています。

IAN+(イアン+)は、デザインと設計を担当するカルメロ・バグリボとルカ・ガルファロ、建築工学の技術者であるステファニア・マンナの3人が1997年に共同で設立しました。彼らは、建築の理論と実際に建設することが重なり合い、出会う場所が自分たちの運営する事務所と考えています。

マリオ・クトゥリは、「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」を建設するきっかけにもなった人物の兄で、当該の財団で2008年から4年間理事長を務めていました。1994年に建築学の学位を取得して、幅広く多岐にわたる業務をこなしています。例えば、ローマ市の都市計画と地域の政策に携わり、公共交通の不動産と導線についての助言を行っていました。

 

「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」の所在地

 

「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」はアフガニスタン・イスラム共和国の都市、ヘラートの農村地域に建設されました。アフガニスタンはアジアとヨーロッパの境にある内陸の国で、イラン高原に位置する国土のほとんどが乾燥した山岳地帯となっています。非常に厳しい気候で、最高気温は50℃になることがありますが、最低気温が氷点下20℃より下回ることも頻繁にあります。加えて、1日の中でも気温の高低差が大きくなっています。また、降水量が非常に少なく、いくつかの河川が流れていますが、飲料水の確保がとても困難になっています。首都のカブールは国の東に位置していて、西へ600km以上離れたヘラートは西部の重要な都市となっています。この街は2,500年以上前にはすでに都市としての機能を持っていました。アジアを東西に繋いでいたシルクロードの中継点でもあった歴史があり、国内最古のモスクや、城塞などがあり、数多くの遺跡や史跡も残っています。文化的にも地域の中心となっていて、多くの芸術家や学者を輩出しています。他にも数千年の歴史があると言われる、伝統工芸品のアフガンラグと呼ばれる絨毯を始めとする手工芸品が制作されています。このように長い歴史を持ち、数百の文化的遺産があるヘラートはユネスコの世界遺産に登録申請がされ、現在は暫定的に登録されて、正式登録に向けて審査が行われています。

 

「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」の特徴

 

2011年に完成した「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」は、ほぼ地元で入手できる材料と地元の人々の手によって建設されました。四角い敷地に壁が設置され、その中に複数の建物が作られています。8つの教室と、職員の宿舎などは壁の外からはほとんど見えない平屋になっています。唯一、2階建ての図書館の中央部は吹き抜けの広い空間になっています。建物はコンクリートで作られ、外壁には地元で作られたレンガが使われています。1番の特徴は、壁も建物も鮮やかな青い色をしていることです。3種類の青い色は、この国で古くから作られている陶器の装飾に使用される色を模しています。ラピスラズリという青い鉱物から採れる顔料が使われた伝統的な陶器は、とても美しい色をしています。窓枠や屋内の柱、階段など、1部には鮮明な赤い色が使用されています。教室などの建物の周囲には中庭のような場所がいくつか作られています。これは屋外での教育に使われるほか、子供たちが外で遊べるようになっています。建物の周囲には約50本の苗木が植えられ、将来的には中庭に木陰を提供できるようにと考えられています。校舎を取り巻く壁が高くなっているのは、子供たちがまだまだ安心して過ごせる情勢にはなっていないことが伺えます。ただ1つの背の高い図書館は、館内が自然光で明るくできるようにと考えられています。

 

「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」のまとめ

 

マリア・グラツィア・クトゥリは、イタリアのジャーナリストの女性の名前です。彼女は紛争地帯の実情を報道するために現地へ滞在していました。しかし、安全が確実ではない情勢の場所であったことから、他の数人のジャーナリストやガイドと共に2001年に命を落としてしまいました。その後、彼女の親族や所属していた報道機関、自治体など公共の組織が資金提供して「マリア・グラツィア・クトゥリ財団」を設立しました。彼女が命を落とした地の平穏を願って建設された学校の1つが、「マリア・グラツィア・クトゥリ小学校」です。

 

 

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