ジンバブエの幼稚園(Kindergarten Zimbabwe)

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「ジンバブエの幼稚園」のご紹介

 

街で暮らす人々は多くのモノに囲まれ、様々なサービスを受けることができます。しかし、辺境と言われる地で生活する人々は、生きるために必要な事柄のほとんどを自分たちで調達しなければなりません。自給自足の生活は決して楽ではありませんが、達成感と自立が促されることは間違いありません。アフリカの小さな村に建設された小さな建物は、そこに住む人々が協力して完成させました。「ジンバブエの幼稚園」は正に手作りの建物です。

「ジンバブエの幼稚園」の設計者

 

「ジンバブエの幼稚園」の設計とデザインを手掛けたのは、ドイツの建築家、アンナ・ヘリンガーです。彼女は1977年にドイツの南部にある都市、ローゼンハイムで生を受け、オーストリアとの国境に近いラウフェンで幼い時代を過ごしました。19歳の頃にNGOで働きながら、東アジアの国であるバングラデシュで暮らしていました。この時に持続可能な開発について学び、真に持続可能な開発とは、そこで暮らす人々の手に委ねられる事であると知りました。その経験を生かすために彼女はオーストリア北部の街にある大学で建築を学びました。卒業のために、バングラデシュ北部にある村に地元で調達できる素材で建設する学校の設計をしました。この設計は1年後に実現していて、完成した建物は複数の賞を受賞しています。彼女の建築に対する理念は、人々の生活の質を向上させることのできる建築物を創造することです。どんな辺鄙な場所でも、そこに暮らす人々が、そこで手に入れることのできる素材を利用して、自分たちの手で完成させることの出来る建物を設計しています。2005年に自らの建築事務所である「スタジオ アンナ・ヘリンガー」を故郷であるラウフェンに開設し、アジアやアフリカなどで多くの企画を遂行しています。また、ヨーロッパの複数の大学で教鞭を執り、ユネスコが主宰する講座のうち持続可能な開発などの講座の名誉教授を授けています。

「ジンバブエの幼稚園」の所在地

 

「ジンバブエの幼稚園」は、ジンバブエ共和国の東部中央に位置するチマニマニ地区に建設されました。南東アフリカに位置するジンバブエは、周囲を4つの国に囲まれた内陸の国です。19世紀にイギリスの植民地となり南ローデシアと呼ばれていましたが、それまでは南部アフリカのいくつかの王国の支配地でした。20世紀末に独立して現在の共和制国家となり、イギリス連邦に加盟していました。その後、2003年にイギリス連邦から脱却しています。地下資源が豊富で、多種にわたる鉱物資源を産出しています。クロムや銅、ニッケルなどの金属鉱物や、金やプラチナなども採掘されています。特にプラチナ(白金)の埋蔵量は世界最大量とされています。また、近年ではダイヤモンドも産出していて、その山は地球上で最も豊かな鉱山の1つと言われています。チマニマニは隣国のモザンビークとの国境に近く、自然が豊かな所で、国で2番目に高いモンテ・ビンガ山を擁するチマニマニ山脈の麓になっています。この山脈は国立公園に指定され、隣国のモザンビークにあるチマニマニ国立保護区と国境を跨いで自然環境が保護されています。この地域は、森林や低木林、草原など多様な植物の生態系が育まれています。

「ジンバブエの幼稚園」の特徴

 

「ジンバブエの幼稚園」が建設されたチマニマニにあるパーマカルチャーの集落は、PORET(ポレット)と言う名で、およそ200世帯の人々が暮らす農村地帯です。自給自足を実践していることから、「ジンバブエの幼稚園」の建設も地元の人々の手で行われ、2014年に2棟が完成しました。建設材料もほとんどが地元とその周辺で調達されています。基礎には近隣で採取された石が使われています。その上に近くで伐採された樹木で骨組みが組まれ、刈り取った茅で外壁と屋根が覆われました。日本の農村で、近年までよく見かけた稲わらを組み上げて作る「としゃく」に似た作り方がされています。火災が起こった時に延焼を防いだり、被害を削減するために、毎年、集落の周りの伸びた茅が刈り取られていましたが、それを活用することが出来ました。茅は根元が縛られて葉先が下を向くように下部から順番に5層に重ねられています。葉先は綺麗に借り揃えられていて、草で覆われているようには見えないほど美しく仕上げられています。骨組みに使われた樹木も、近隣で植林されたものが使われています。先細りの楕円形のドーム型をしていて、入り口は細長い口のように伸びています。不規則に配置された三角形の窓は、木材で窓枠が作られています。実際の建設は全て地元の職人が手掛けました。

「ジンバブエの幼稚園」のまとめ

 

「ジンバブエの幼稚園」は、英語の「永続」と「農業」、「文化」を組み合わせた造語でパーマカルチャーと呼ばれるスタイルの生活を送る人々の集落での重要な企画として建設されました。真の意味の持続可能を目指し、修理や同じ工法で建物が作られるように住民の手で建設され、次代にその技が繋げられるように考えられました。また、長い年月が経つとこの建物は朽ちてしまうと設計者は考えていました。「ジンバブエの幼稚園」は、いずれその地の大地に帰ることができる建物です。

 

 

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