「小波の物語」。かわいらしい響きのテーマです。けれど、この名を持つのは小さな宿ではありません。東南アジアで同時に進む、二つの超高層シティ&リゾートホテルの計画です。ひとつは海辺のシーサイド&シティサイド、もうひとつは内陸のシティサイド。離れた場所に建つ二つのホテルを、「海の大地」と「陸の大地」という一対の物語がつないでいます。
海に向き合えないシーサイドホテル
海辺のホテルと聞けば、客室の窓の先に大海原が広がる姿を思い浮かべるでしょう。しかしこの敷地はそうなっていません。海、砂浜、道路、そしてホテル。海とホテルのあいだには砂浜と道路が挟まり、事情によってこの並びは変えられません。
正面から海と向き合えないことは、制約であると同時に手がかりにもなりました。物語はここから始まります。
渚を越えられない小波
海が生み出す小波は、渚まで寄せてはまた引いていきます。どれほど寄せても陸には上がれません。それでも小波は陸の小波になることに憧れている。その憧れは、浜辺に立てば目に見えるほどです。
そこで、小波が陸へ上がるために、建築が手を貸すことになりました。手段はメタモルフォーゼ(変容)です。キーワードは「砂浜の小波が起きて、壁になる」。

小波の壁面を持つファサード
低層部は、大海原から届くエネルギーをしっかり受け止める基壇です。その上の高層部では、渚に寄せていた水平の小波が向きを変え、垂直の壁面として立ち上がります。パースに見える鋸歯状、ギザギザの壁面がそれです。
正面の中央にあるフラットな面は、小波と小波のあいだの谷間にあたります。言わば「小波の一休み」です。後方に建つもう一棟も、前の棟に敬意を払うように同じギザギザの展開をまとっています。陸に上がった小波は、こうして超高層の壁になりました。
陸の大地から立ち上がるホテル
内陸に計画されたもう一つのホテルは、観光利用もありますが主役はビジネスユースです。こちらのテーマは小波の戯れではなく、大地への馴染みです。

海辺の計画と比べると、ファサードはがっしりとしており、大地そのものが立ち上がってきたような構えです。後方の棟は大地の塊として据えられています。海の大地と陸の大地。自然に敬意を払いながら、二つの計画は対をなしています。
「そうは見えない」という評価
このデザインを見て、「あまり小波には見えないのですが」と言った人がいます。それでよいのです。もともと、小波に見えるように設計しているわけではありません。
小波がテーマだからといって、その形をそのまま建築に置き換えることが目的ではないからです。
状況によっては具体的な形に落とし込むこともありますが、大切なのは、捉えたテーマをどう応用し展開するか、建物とテーマのあいだにどれだけ深い親和性を持たせるかです。さらに、目に見えない環境、シーン、たたずまいまで設計することです。
建築の前に、ホテル空間を設計する
多くの設計は、いきなりホテルという建築を描き始めます。しかし、この計画は順序が違います。
まず、その土地の自然や環境、人々の営み、そこに生まれる空間のあり方を考える。目には見えないものまで含めて、ホテルという空間を構想するのです。
そして、その空間を具現化するために、ホテルという「建築」を設計する。
建築が先にあるのではなく、空間への思考が先にある。
それが、この二つのホテル計画に共通する設計思想です。
無駄な思考はありませんし、格好のよい思考の方法論もありません。あるのは、自らの知見と創意工夫の積み重ね、そしてプロジェクトへの真摯な取り組みだけです。
そんなことは誰でもやっている、と言われるかもしれません。その通りです。普通のことこそが大事なのです。