同じオーナーから、もう一つ相談がありました。場所は前回とは別のエリア。使う木は同じ間伐材です。ただ、今回は泊まる人のためではなく、子どもたちのための計画です。
テーマは「子供達の為の、ハウスデザイン」。林の合間にぽっかり開いた小さな草原に、家の形をしたパネルを置いていきます。子どもも親も、その間を歩き、くぐり、腰かけて遊ぶ。建物というより、森の中に置かれた遊び道具に近いものです。
誰でも描ける、家のかたち



三角の屋根に、四角い壁、そして小さな煙突。子どもに「家を描いて」と頼むと、国が違ってもたいていこの形が返ってきます。煙突のある家に住んだことがない子でも、なぜか煙突を描く。家というものの、いちばん素直な記号なのでしょう。
今回のパネルは、すべてこの形でできています。そのかわり、中身はひとつずつ違います。年輪の木目、丸太の小口、積み上げた角材、市松模様、渦を巻く木目、そして色鉛筆の束。
色鉛筆が混じっているのは、遊び心だけではありません。鉛筆の軸は木でできています。森から出た木が、削られ、子どもの手の中で家の絵を描く。それもまた、木の第二の人生のひとつです。
林の中のポケット草原






林の木々の合間に、ぽっかりと開けた小さな草原があります。都市の「ポケットパーク」にならえば、ポケット草原とでも呼べる場所です。そこに家の形をしたパネルを並べ、置き、散らしていきます。
遊び方は決めていません。大きな家の足元はトンネルになっていて、子どもは四つんばいでくぐり抜けます。板を積んだ山は、そのままベンチになる。屋根に登ってもいいし、開口に座りこんでもいい。大人は、並んだ家の素材の違いを一つずつ見比べながら歩くことになるでしょう。
スケッチでは、草原が水面のように家を映しています。地上に立つ家と、足元に映るもう一つの家。木が森の中で「もう一度立っている」ことを、映り込みで表しました。
切った場所に、家を置く





草原だけではありません。林の中、小川のほとり、林道。家のパネルは森のあちこちに置かれます。
置く場所には、ひとつ決まりがあります。間伐で木を伐った、その跡です。
かつて木がそこに立っていた場所に、その木から生まれた家を置く。何十年もその場所で森を支えてきた木への敬意を、そういう形で表しました。木は切られて終わるのではなく、同じ場所で、今度は子どもたちを迎える役目を担う。人生ならぬ「木生」の、第二幕です。
木を伐ったあとに敬意を払う習わしは、実は日本にも古くからあります。伐採した切り株に木の梢を立てて、山の神に感謝を捧げる「鳥総立て(とぶさたて)」です。万葉集にも詠まれているほど古い習わしで、伐った木の命を、山へ返すという意味があったといいます。今回の家のパネルは、いわば現代の鳥総立てなのかもしれません。
紅葉の季節には枝に子どもが登り、雪の季節には夕日が家を照らす。夜は林道にスポットライトが落ち、家の形が闇の中に浮かび上がります。季節と時間によって、同じ家がまったく違う顔を見せるのも、森に置く理由の一つです。
積み木から生まれた建築家
子どもと木の家の組み合わせには、思いがけない歴史があります。
19世紀のドイツに、フリードリヒ・フレーベルという教育者がいました。世界で初めて「幼稚園(キンダーガルテン)」をつくった人物です。キンダーガルテンとは、直訳すれば「子どもたちの庭」。フレーベルは、子どもを庭の草木のように育てるべきだと考え、遊びのための木の積み木を考案しました。
このフレーベルの積み木で幼い頃に遊んだのが、のちにアメリカを代表する建築家となるフランク・ロイド・ライトです。ライトは晩年まで、あのメープル材の積み木の感触が指に残っていると語っていました。帝国ホテルを設計した建築家の原点は、木の積み木だったのです。
森の中の草原で、木の家をくぐり、登り、座る。今回の計画は、フレーベルの「子どもたちの庭」を、本物の森で、本物の木でやってみようという試みでもあります。
木が、もう一度立つ
前回は人が泊まる宿を、その前は用途のない塔をつくりました。今回は、子どもたちのための家です。
三つに共通しているのは、間伐材を「材料」として扱わないことです。年輪も小口も、不揃いな太さも隠さない。そして今回は、木が立っていた場所そのものに、もう一度立たせることにしました。
もっと森にいたかった木が、同じ森に帰ってきて、子どもたちと遊ぶ。そんな木の第二の人生があってもいい。こういう考え方もある、という一つの提案です。