森を健やかに保つために、木々の一部を間引く。それが間伐です。切り出された間伐材は、建材や家具、合板、燃料など、さまざまな形で「第二の人生」を歩んでいます。資源の有効活用として、すっかり定着した話です。
けれど、ふと考えてしまいます。間伐材の側に、言い分はないのだろうか、と。
もっと森にいたかった
何十年も森の一員として立ち続け、光を受け、雨を蓄え、鳥や虫の居場所となってきた木です。それがある日、「混みすぎているから」という理由で選ばれ、切られる。運が悪かった、としか言いようがありません。
もちろん、自分が抜けることで周りの木々が太く健やかに育つことは、間伐材も理解しているはずです。犠牲になる意味はわかっている。それでも、本音を言えば、もっと森にいたかった。
間伐材にも意地がある。勝手な解釈かもしれませんが、そこから一つの結論にたどり着きました。役に立つことを当然のように求められてきた木に、あえて「用途」を与えない。それが、今回のプロジェクト「無用の長物」です。
無用の長物 1 ― ただ、建っている

森を背にした芝生の中に、間伐材を積み重ねた塔がそびえています。中に入って何かをする場所ではありません。展望台でも、倉庫でも、記念碑でもない。用途も目的もなく、ただそこに建っています。
ただし、見かけとは裏腹に、この塔には木質系文化に関するさまざまな知見が込められています。木と人間が長い時間をかけて築いてきた関係、木を建築に用いる知恵、そして木質文化そのものへの問い。用途を持たない建築でありながら、その存在自体が多くのことを語りかけているのです。役に立たない顔をして、実は一番雄弁なのかもしれません。
無用の長物 2 ― 1を眺めるためだけの場所

もう一つの塔は、間伐材のボリュームにガラスの箱がいくつも差し込まれた姿をしています。こちらはゲストハウスを兼ねた空間ですが、その本当の目的は「無用の長物1を眺めること」だけ。無用なものを眺めるための建築。ここまでくると、もはや潔いと言うしかありません。
嫌われ者の間伐材
経験上、間伐材の一部は扱いが厄介で、嫌われ、敬遠されるケースが少なくありません。曲がりがある、径が揃わない、量がまとまらない。現場では「使いにくい材」として脇へ追いやられがちです。
その「使いにくい」ものを、使途不明のまま建築にしてしまったのが、この二つの塔です。正直なところ、いまだに揉めています。何のために建てるのか、と問われれば、答えに窮するのですから。
フォリーという考え方
こうした用途のない建築を「フォリー(Folly)」と呼びます。もともとは18世紀のイギリス風景式庭園で、眺めを楽しむためだけに建てられた塔や偽の廃墟などを指した言葉です。直訳すれば「愚かなもの」。まさに無用の長物です。
余談ですが、フランスで行われた世界的なコンペで、このフォリーが一等を獲ったことがあります。巨大な、座ることのできない椅子が、斜めに建っている。さまざまな条件が課されたコンペでしたが、そこには本当に無用な空間が構成されていました。これがきっかけで、フォリーはちょっとしたブームになりました。
つくった本人もフォリーなのかもしれません。いや、その前に「まだ無用の長物の域にすら達していない」と言われてしまいそうですが。
あなたなら、どうする
役に立つことだけが、木の幸せなのでしょうか。森に残りたかった木に、私たちは何を返せるのでしょうか。
間伐材の気持ちになって、一度考えてみてください。あなたなら、どうしますか。