壁そのものがキャンバスになる ― 芸術家のための小さな美術館

「条件は、一階と二階だけ」

依頼主は、大きなキャンバスを得意とする油彩の画家でした。自分の作品のための、小さなプライベート美術館がほしいという依頼です。

ヒアリングで出てきた条件は、二層構成にすることだけでした。展示室の数も、広さの希望も、様式の好みもありません。条件がほとんどない依頼は、かえって難しいものです。何を求められているのかが見えないからです。

そこで出発点になったのは、ひとつの問いでした。この画家にとって、美術館とは「絵を掛ける箱」なのだろうか。

紅葉に囲まれた芸術家のプライベート美術館の外観パース
芸術家のプライベート美術館。外壁は無機質な打放しコンクリート

一階は閉じたギャラリー、二階は空に開いた回廊

答えは、上下でまったく性格の違う二つのギャラリーでした。

一階は、窓のない一般的なギャラリーです。自然光を入れずに照明を管理し、キャンバス作品をじっくり見せる、美術館としてごく正統な空間です。

大胆なのは二階です。屋根を架けず、空に向かって開いたパティオ形式のオープンギャラリーとしました。

屋根のない展示空間には、雨や風という避けられない問題があります。そこで平面を、外壁と内壁の二重壁(ダブルウォール)で構成しました。来館者は二枚の壁に挟まれた回廊(コリドー)を巡ります。外壁が外部からの風や視線をある程度遮り、その内側に、空へと開かれた回廊が生まれます。

二重壁で構成された二階オープンギャラリーを上から見たモデル
二重壁のあいだを回廊として巡る、屋根のない二階

内側の壁そのものがキャンバス

この回廊には、もうひとつの意味が込められていました。

内側の壁は、絵を掛けるための壁ではありません。壁そのものが作品になるのです。

二階に額縁はありません。高さも幅も建築のスケールを持つ壁面全体に、画家が直接色彩を与えます。展示されるのは壁に掛かった作品ではなく、建築と一体になったアートです。小さな作品を並べる場所ではなく、空間そのものを描く場所です。

模型では、内壁が青、赤、橙、黒、水色に塗り分けられています。外からはうかがえない色彩の世界が、コンクリートの内側に隠れています。

インナーウォールの色彩が見える別角度からのモデル
コンクリートの殻の内側に広がる色彩

怒られるか、と思っていた

この提案は、画家への挑戦でもありました。

「あなたの絵を飾る美術館」ではなく、「この壁をあなたが描け」という提案です。画家の制作手法そのものに、建築の側から踏み込んでいます。怒り出されても不思議ではありませんでした。

ところが、反応は逆でした。

画家はこれまでにも何人かに相談していたそうです。けれども、自分の作品手法に挑戦してくる提案は初めてだったといいます。提案は、思いがけず気に入られました。

インナーウォールの色彩の世界を示す二方向からのモデル
インナーウォールの色彩の世界

外部空間との闘い

外観は、型枠のセパ穴が規則正しく並ぶ無機質なコンクリートの箱です。外壁に壁画を描くわけではありません。周囲の森に向かって、建物は沈黙しています。

その内側で、画家は空の下に立ちます。雨や風、移ろう光と向き合いながら、巨大な壁に色を置いていきます。アトリエの中で完結していた絵画が、外部空間という予測できない相手と対峙することになるのです。

外は沈黙のコンクリート、内は巨大なキャンバス。この小さな美術館は、作品を守る箱であると同時に、画家にとって新しい闘いの場なのです。