
まっすぐなカウンターしかなかった時代
40年以上前、旅行会社の店舗といえば、長いカウンターが一直線に伸び、その前に客が横並びに座るのが当たり前だった。窓口は「処理する場所」であり、隣の客の行き先も予算も、声を潜めなければ筒抜けになる。そこに疑問を持つ人は、ほとんどいなかった。
日本最大手の旅行会社が、将来に向けた新しい店舗デザインをコンペで募った。採用された案は、そのまっすぐなカウンターを、ためらいなく折り曲げるものだった。
カウンターはプライベートデスクである
ホテルには、ゲスト一人ひとりにきめ細かく対応する「ゲストリレーション」という考え方がある。そこでは、単に用件を処理するのではなく、ゲストとの関係を大切にし、プライベート性の高い空間で向き合うことが求められる。
この旅行会社のショールームには、ホテルの空間設計で培われた、そうした発想が持ち込まれた。
従来のストレートカウンターにも、一定の区切りを設ける方法はあった。しかし、この計画が目指したのは、単なる仕切りの追加ではない。
「カウンターはプライベートデスクである」
この考え方を出発点に、一直線だったカウンターを折り曲げ、一組ごとに独立した居場所を感じられる形へと変えていった。
それは、カウンターをプライベートデスクへと変容させる、いわばメタモルフォーゼである。
込められたメッセージは、「ここは、あなた方のためだけに対応する場所です」。
ジグザグの形は、奇抜さを求めた造形ではない。ゲストとの向き合い方を変えるという思想から生まれた、必然的なデザインだった。

天井から浮かぶ光と、宙に浮く旅の誘い
各カウンターの上には、青いガラスのペンダントが細いワイヤーで吊られている。照明器具の存在感を消し、光だけが宙に浮いているように見せる演出だ。
同じ考え方は、ポスターやカタログのディスプレイにも貫かれている。弧を描くポスターパネルも、ヨーロッパ、インド、中国と行き先ごとに並ぶカタログラックも、床に置かれていない。すべてワイヤーで吊られ、わずかに宙に浮いている。店全体が、重さから少しだけ解き放たれている。

店に入った瞬間、旅は始まっている
当時、都会的でハイセンスな店舗はまだ主流ではなかった。そのため、完成後には同業者が大勢見学に訪れたという。そしてこの店は、一過性の話題作に終わらず、実際に長く営業を続けた。
目指したのは、店に足を踏み入れたとたん、旅がすでに始まっている感覚だった。たとえばヨーロッパ旅行の相談に来た人が、この空間で、まだ見ぬ洗練された旅の予感に触れる。その記憶が残り、新しい異文化をもっと体験してみたいと思ってもらえたなら、それで十分だった。

灰皿のあるカウンター
写真をよく見ると、どのカウンターにも灰皿が埋め込まれている。電話はプッシュホン、パンフレットは紙。いまでは考えられない風景だ。それでも、一組のゲストのためだけに用意された席、宙に浮かぶ光、という発想は少しも古びていない。むしろ個別相談やプライベートな接客空間が重視されるようになった今、この店は40年以上前に、その答えのひとつを示していたのかもしれない。