「ラ・ピラミッド」のご紹介
アフリカの西にある国にも高度成長期があり、その時代には多くの高層建築が建設され、その幕開けに建てられたのが「ラ・ピラミッド」です。建設当初は、その目的を表す「アビジャン商業センター」と名付けられていましたが、外観の形からすぐに周辺の住民は「ラ・ピラミッド」と呼ぶようになりました。
「ラ・ピラミッド」の設計者
「ラ・ピラミッド」の設計を担当したのは、イタリアの建築家、リカルド・オリヴィエリです。1931年にイタリアの北部にある都市のヴェローナで生まれた彼は、「水の都」と呼ばれるヴェネツィアの大学で建築を学びました。それ以前の中等教育を受けていた頃から、舞台美術にも興味を持っていて、大学で建築を学ぶ傍ら舞台美術にも携わっていました。大学を卒業した後にイタリア国内で建築家として活動を始め、数年後にはアフリカへも活動の範囲を広げました。彼の作品は、1970年に開催された大阪万国博覧会でアフリカのガボンとコートジボワールの2つの国のパビリオンの建設に携わったことや、イタリアの学校や庁舎などの公共施設を手掛けていました。1980年代から20世紀末の十数年間は、建築家としてよりも舞台美術に精力を傾けていました。学生時代にはすでに興味を持っていた舞台活動に於いて、生まれ育ったヴェローナに小さな市民劇場を立ち上げるメンバーにもなっていました。ヨーロッパを中心に大小の公演の舞台美術を手掛け、日本の著名な建築家が設計した競技場での公演では、その建築家と協働で舞台を成功に導きました。建築家と舞台美術家を兼業していた彼は、そのどちらも様々な場面で賞賛されています。イタリア国内のいくつかの劇場には彼の功績を称えるために、彼の名を刻んだ銘板が掲げられています。また、建築家としては彼の残したブルータリズム建築に関する展覧会が各地で開催されました。アフリカにも大きな足跡を残した彼は、1998年にこの世を去っています。
「ラ・ピラミッド」の所在地
「ラ・ピラミッド」はアフリカ大陸の西に位置するコートジボワール共和国で最大の都市、アビジャンに建っています。この国の名称は、15世紀頃にヨーロッパからの探検隊の人々が、象牙を始めとする様々な物品をこの地域から船で送り出してきたことに由来しています。20世紀の後半までは、日本でのこの国の名称は「象牙海岸」でした。オリンピックなどの国際的な催しでは、英語表記の「アイボリー・コースト」と表記されていました。しかし、首都の遷都を行った時期に、公用語がフランス語であるこの国の政府からの要請で、世界的にもフランス語の「コートジボワール」と表記され、呼ばれるようになりました。ギニア湾に面するアビジャンは、1983年に内陸のヤムスクロに首都が変わるまで首都を務めていた国で最大の都市です。現在もアビジャンが行政の1部や経済の中心地で実質な首都機能を持っています。ギニア湾の南岸には特徴的な地形があり、アビジャン周辺は特に顕著な地形が広がっています。幅の狭い砂州に遮られて出来上がる、日本語では潟(かた)または、潟湖(せきこ)と呼ばれる細長いラグーンが連なっています。特にエブリエ潟は全長が130kmもある長大なラグーンで、アビジャンの街はその東の端に位置しています。もともと多くの河川が流れ込んでいましたが、いくつかの運河も建設され、ギニア湾に繋がる運河は大型の船舶が航行できるようになっています。このラグーンは、魚類から鳥類、大型の水辺で暮らす動物など、多種多様な生物相を育んでいます。
「ラ・ピラミッド」の特徴
「ラ・ピラミッド」は5年の歳月をかけて1973年に完成しました。この頃は、「コートジボワールの奇跡」と呼ばれる、経済が大きく発展していた時代で、その間に多くの高層建築物が建設されました。その最初の建物が「ラ・ピラミッド」です。建物の形状は階段状のピラミッド型で、中央に2基のエレベーターが入る大きな四角い柱のような構造物が作られています。この形は、ピラミッドを想定したものではなく、アフリカの伝統的な鳥の彫像物の形が参考にされました。設計者は、この地域の古い伝統的な意匠や習慣をこの建物の建設に加えていました。高さが約60mで地上15階、地下3階で駐車場も地下に作られました。基本はコンクリートの建物で、外観の印象も加えてブルータリズム建築と言われています。大きなホールになっている1階は、周辺の農村部にある市場から着想を得て、屋根のある市場を想定していました。ホールの中央には未来的なデザインの上階に上がる階段が作られていて、高い天井にはこの地域の装飾を模した複数の大型照明器具が吊り下げられています。屋内の壁は、むき出しのコンクリートで、その見た目も無骨な印象を与えるブルータリズムを思い起こさせます。上階の外壁にはそれぞれ隙間を設けた鎧戸のような長い庇が取り付けられていて、強い日差しを避けて風が通るようになっています。下層階は商業施設で、中層階は企業の事務所などが入り、上の階は外国人や富裕層のための居住階になっていました。
「ラ・ピラミッド」のまとめ
設計者の初期の代表作と言われる「ラ・ピラミッド」も、経済の成長が止まり、政治的にも不安定な時期もあった為に、完成からわずか20年でほとんどが空室となり、荒廃していきました。しかし、輝かしい時期の象徴であったことから大規模な改修が決定しています。とは言え、多額の資金が必要なため現在も改修工事は行われてはいません。古き良き時代を伝える「ラ・ピラミッド」は、今でも街の中心部に建っています。









